グラフィック至上主義

任天堂ハードよりも高性能なハードを選ぶ人に対する任天堂信者が使う蔑称です。

相手をグラフィック至上主義呼ばわりして非難する人のゲーム論に聞く耳を持つ必要は全くありません。普通、ゲームをする人にはグラフィックさえよければ他はどうでも良いという単細胞は居ませんから。全く同じゲームで綺麗なグラフィックと汚いグラフィックの2バージョン用意してどちらか選べと言われたらグラフィックが綺麗な方が良いに決まっています。当然開発側も可能な限りで、より綺麗なグラフィックにしようとします。

所詮、任天堂がもっと高性能なハードを作れれば言い出さない程度の事です。しかも、相手をグラフィック至上主義呼ばわりする任天堂信者とて、グラフィックがより綺麗になったであろう任天堂新ハードが出たら飛びつくのですから人の事を言えた義理ではありません。結局より綺麗な方を選んでいる。同じグラフィック向上でも任天堂ハードなら賞賛し、他社ハードなら叩くというダブルスタンダードに過ぎません。リアルグラフィックのゼルダを賞賛し同じリアルグラフィックのファイナルファンタジーを叩くこともからも判ります。

グラフィックを綺麗にするとゲーム性が疎かになるという根拠を提示する人も居ますが、そもそもグラフィックとゲーム性を互いに排他的な要素であると思い込むのがおかしいのです。